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COLUMN コラム

いつも10年後の自分をイメージする

2025/08/05

■日々いろいろありますが

――私は60歳になって、体の衰えはあっても、40代や50代の頃と中身は大して変わっていない、自分という人間はさほど変わらず年を重ねていくのでは、と思います。穏やかに60歳の誕生日を迎えられる私は幸せだなと思っていて、日々いろいろありますが、今日のこの気持ちを忘れずに過ごしていきたいと思います。〈高尾美穂からのリアルボイスへ寄せられたレターから〉

「日々いろいろありますが」とおっしゃっていますが、本当にこの言葉に尽きますよね。誰でもみんな、日々いろいろあるけれども、どこに目を向けるか次第。良かったな、楽しかったな、と思えることに目を向けるのか、大変だったな、しんどかったな、悔しかったな、ということに目を向けるのか。これによって人生が本当に違ってくると思います。

■若い頃のように考えられなくなって

――娘たちも社会人になり、50代半ばで自分のために使える時間が増えてきました。これからも何らかの形で社会とつながっていたいと思うものの、若い頃のように10年後の自分の姿がイメージできなくなってきました。今後の自分の生き方を模索していきたいと思います。〈高尾美穂からのリアルボイスへ寄せられたレターから〉

かつては自分のこれからをイメージしやすかったと思います。なぜかというと、自分も周りも大きく変化する可能性が高い年代だったからです。たとえば20歳のときに30歳の自分をイメージすると、20歳では専門学校や大学に行っていて、30歳になったら仕事をしているかもしれない。もしかしたら結婚しているかもしれない。もしかしたら子どもを育てているかもしれない。今とは全然違う10年後で選択肢がいろいろあるので、イメージしやすいわけです。

これが、たとえば60歳から70歳になってどれぐらい可能性の幅があるかというと、多くの人が身体的に下り坂になっていくことは確実で、その中で、この下り坂を緩やかにできるかどうかは自分で決められるけれど、それ以上の伸び代はなかなか想像できない年代といえます。自分なりにある程度はあがけるかもしれないけれども、可能性はそれほど幅がない10年、となるので、かつてのように次の10年を想像できない、と思ってしまうわけです。

■変えていける余地はあります

それでもやはり、自分自身のこれからをイメージしてみていただきたいと思います。

先ほどのレターで、「60歳になって、40代や50代の頃と中身は大して変わっていない、自分という人間はさほど変わらず年を重ねていくのでは」という言葉がありました。これはこれで真理だと思いますし、真ん中の柱の部分はそうは変わらないけれども、変わる余地はある。その変えていける余地が、自分の生活や運動、食事、誰とどんな心持ちで過ごすか、今日何をするか、明日何をするかといった、私たちが具体的にできることで、どこにフォーカスするか、なんですよね。「変わっているかもしれない」と自分のことを眺めてみると、変わった部分に気づけるはずで、「この10年変わってないよね」と思うと、変わっていない部分に私たちは目を向けるわけです。

次の10年、変わらずにいることも進化といえる年代なので、それはそれで一つの目標としていただいてもいいと思いますが、「自分が主体的に取り組んで、変えていける部分はいくつもあるよね」と考えると、変わっていく自分に目が向くはずで、そこに気づけるか、気づけないか。それも結局は、変わっていく部分を自分なりに探しているかどうかに尽きると思うんですね。

私も10年後にどんな自分でいるかを想像してみると、さらにその次にする何かを考えたりイメージしたりしているんだろうな、と思います。姿勢もまあまあシャンとして、背中もまだ丸くなくて、白髪は増えているかもしれないけど、ほどほど楽しく過ごしている私が想像できるわけです。

資格試験や受験に取り組んでおられる方も、そこがゴールではなくて、その資格や経験を得て10年経った自分が、どんな形で周りの役に立てているのか、仕事や取り組みに生かせているのかをイメージできるかどうか。それによって、今の時間の使い方や心持ちも変わってくると思うんですね。

だから何歳になっても、10年後の自分がどうありたいかをイメージしながら、今日を過ごす。そんな考え方がいいんじゃないかな、と思います。

※2025年7月30日配信「高尾美穂からのリアルボイス」を元に一部を再構成しました。

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