お米を一合ずつ炊くという贅沢

世の中で健康には玄米が良いと言われるようになって久しいわけですが、その一般論が当てはまる人と当てはまらない人がいる という現実は否めません。私自身も一時的に玄米食に移行した時期がありましたが、他の食事を変えていないのにおなかが赤ちゃんのように張ってしまい、おなかが張ることで苦しい という感覚を抱くこともありました。当初は玄米が私のからだに良くない影響を与えている などとは露も思いませんから他の理由を探すわけですが思い当たらず、もしかして健康に良いとされている玄米が原因? と考え、白米の食事にもどしてみたところ、おなかの張りもほとんど起こることもなくなりました。

こうして今では私の主食は白米に落ち着いているわけですが、最近の私にとっての贅沢が『お米を一合ずつ炊く』こと。

以前からお米は多めに炊いて、食べきれないならすぐに冷凍すれば美味しい。そう聞き、実行してきました。しかし、どれだけ炊きたてを急速冷凍したとしても炊きたてのごはんには遠く及ばないことは、みなさんも感じたことがあることでしょう。

必要な分を必要なときに炊く。これが一番美味しい。これは間違いない。

家族での食事の際には一度にもっと多くを炊けばいい。でも、私ひとりがいただくごはんを炊く際に、明日の分も、明後日の分も、と考える必要はないわけです。



これは、足るを知る ことにもつながるのかもしれませんね。その時 必要なだけを、最高の状態でいただくという贅沢。

さらに、普段使うもののほんのちょっとの贅沢もプラスされています。

年始に断捨離をした際に感じた、ウチには十分すぎるほどの洋服がある。そんな思いから、シーズン毎に買っていた新作のラルフローレンたちを手に入れなくなって。この分のお金を、お米や炊くお水に使うことなんて、「生きた贅沢」と言ってもよいのではないかと思っています。

もちろんお米を一合ずつ炊く なんて面倒なことは、時間的なゆとり、心のゆとりがないとできないこと。余裕がない時にはちゃんと理由を持って、それなりの選択をすればいいのだと思います。

特にひとり暮らしの方、食事の前に一合のお米を炊いていただいてみてください。どれだけ心豊かな時間を過ごせるか。おすすめです。

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