神様に見られててもいい人生を歩みたい

おはようございます!

湿度の高い、心地よい朝。ひと雨ごとに春がやって来るとは言いますが、今日の雨は春を連れてきてくれるでしょうか。久しぶりのかなりまとまった雨となりました。窓を打つ雨音が心に、気持ちの良いリズムを運んでくれています。

今朝のasana

神様に見られててもいい人生を歩みたい。

人がいないところで、握り潰したレシートを握った手からさりげなくリリースする。
タバコの吸い殻を車の窓からポイする。
大事な友だちにとりあえずバレないだろうと思われるウソをつく。
自販機に前の人のお釣りが残っていたのを、そのままいただく。
お世話になっている人を裏切る ことになってしまうことを選ぶ。
心にちょっとのためらいを感じつつもやっちゃうこと。きっと誰にだってふっとおとずれる瞬間。その瞬間の選択。

リリースしようとした手をもう一度、握れるかどうか。
タバコ吸いおわって下げはじめた窓を閉じれるかどうか。
とりあえずバレないだろう と思ったあとに、バレた後の相手の気持ち 考えられるかどうか。
お釣りが残っていることに気づき、まわりきょろきょろしてお釣りを集めた瞬間にどうするか。
裏切ろうとする瞬間に、恩を感じている人の笑顔をあたまに思い浮かべられるかどうか。

心にちょっとのためらいも感じない人は別にいい。

でも、心にちょっとのためらいを感じるのだったら、私は神様に見られててもいい人生を歩みたい。
どちらかといえば、知らない誰かのお金の問題はあとくされなくどうにかなることが多い。でも、人とのこと 相手が人であること しかも大事な人とのこと だったとしたら、ためらいを感じた瞬間の選択は慎重であることが望ましい。なぜならそのためらいが正解なの。

私はできることなら、神様に見られててもいい人生を歩みたい。

雨の一日、お気をつけてお過ごしくださいね。
心はいつもあなたと共に。

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