人生における短距離走と長距離走

もともと慈恵のころに私が子宮筋腫の手術をし、その後ずっと慈恵、慈恵青砥(今は葛飾医療センター)、中野佼成、東京労災、表参道 と、私が行く先々の病院へ追っかけてくれた方 の娘さんも診せていただくようになり、今では親子で来てくれたりします。

婦人科受診が必要ないだろう頃からたまに連れられてきていたため、患者さんとして診せていただく前から何度もお会いし成長の過程を見てきていたわけですが、そんな彼女も今年 年女、大学院を出てそのあとどうしよう、という岐路に立っているようです。外来は時に、ちょっとした人生相談の場になったりもしますので、彼女のお悩みを聞いていて思ったことをお話ししました。それは、人生には短距離走で勝負しなくてはならない場合と、長距離走のイメージで緩急つけてがんばった方がいい場合がある ということ。

短いスパンで考えれば、応募締め切りに間に合うように履歴書を仕上げて郵送する、なんてことは短距離走に入ります。まぁ、この例えはとてもハードルの低い短距離走ですが。

一方、彼女のように芸術系の大学院を出てその技能を活かした思うような仕事をしていきたい、という希望をかなえるには長距離走のイメージが必要だったりもするわけです。

私の人生で言うならば、ある資格を取るためにがっつり5年単位の予定を組み、講習会参加単位を間に合わせ、受講し、試験勉強し、資格を取る。これは5年かかってはいますが短距離走の部類に入ります。ゴールはすでに決まっていて、そこへ向かっての逆算をするだけのことですから。

一方、女性スポーツという分野の仕事を広げていく。これは目に見える線路はないわけで、どこからどんなご縁があるかは完全 未知数です。私にとってこのトライは、長距離走のイメージが当てはまるわけです。

短距離走はゴール目指してエンジン全開、一直線、一目散。

長距離走はゴールを目指すことに変わりはありませんが、途中休憩もあり、坂道の猛ダッシュもあり、誰かに伴走することだって伴走してもらうことだってありでしょう。その中には戦略的なトライアルもあるでしょうし棚ぼた だってあることでしょう。長い目で見て目標をクリアしていく。そんな考え方が必要だったりするのが人生 な気がします。

今年24歳。楽しいことがたくさんたくさん待っているだろうと思います。振り返ってみたとき自分の思っていたような人生になっているように、上手く短距離走と長距離走に分けて乗り切っていってほしいと願っています。

関連記事