医者が社会においてどう振る舞うべきか

医者が社会においてどう振る舞うべきか、について考えさせられる出来事がありました。

現在日本における医者の数は約30万人、年間8000人弱の新しい医者が社会に排出されていきます。千葉県成田市に医学部を持つ新しい大学が新設されるというニュースも記憶に新しいことろかと思いますが、毎年8000人増えた分、8000人リタイアしているかと言ったらそうではありませんので、右肩上がりの増加を示しているのは間違いありません。

統計として毎年発表されている「人口1万人あたりの医師数」などのデータではなく、自分で計算をしてみました。日本の人口 1億2000万人のうち医者が30万人 ということは400人に1人が医者 ということ。渋谷のスクランブル交差点を渡る人は多い時で約3000人。あの群れの中に医者が7人いてもおかしくはない計算です。

実はそのくらいはいる医者の中で、まわりの人に医者と知られたくないと思いながら日々過ごしている医者と、近い人には医者であることを知らせて、もしくは知られてしまったら仕方ないと思いながら過ごしている医者と、大々的に医者であることをアピールしながら過ごしている医者がいます。業務ではない時間をどのように過ごすかについては自由ですから、まわりに医者であることを告げ、普段の生活から人の模範となる、また人の健康を願う行動を取り続ける必要はないわけです。

しかし、頭さえ良ければ、もしくは親がお金を持っていさえすれば、あとは自分の努力だけで医者になれるわけではありません。それはなぜかと言うと… 医者をひとり作り上げるのには7000万円かかると言われています。どれだけ高額な私立の医学部でも6年間の学費が3000万円から4000万円。県立、国立になってきたら6年間で合計数百万円の学費を負担するだけで医者になれます。では、自分で支払う(もしくは親が支払う)額と7000万との差額はどこから賄われているのでしょうか?それはもちろん税金なわけです。

医者が診療時間以外をどのように生きてもいい、それはもちろんその通りでしょうが、将来の日本の社会に貢献するためにそれだけの税金を投資していただいている、という自覚。この自覚は常になくてはならないのではないでしょうか。

私は医学部時代に眼科の教授が講義で「自分は飛行機の中でドクターを探されたとしても絶対に手を挙げない」 そう言ったことを今でもはっきり覚えています。これはまだまだ若く、青くさい考えだったかもしれませんが、こんな医者にはなりたくない、と強く思ったことも覚えています。確かに、全身を診るのに慣れている診療科のドクターが乗り合わせていたとしたら、そちらのドクターに診てもらう方が機内の急変患者もしあわせかもしれません。それでも、自分が多くの人の税金で医者にならせてもらったのだ、と考えることができる人間だったら、機内で絶対に手を挙げない、という選択には至らないのではないかと今でも思っています。

医者が自分のまわりにいる人の健康は自分が守る!くらいの気持ちでいたらいいのに。私はいつもそう思っています。

たとえば実家のとなりのおじちゃんが調子悪いと親から電話をもらった、話しを聞いて、何科にかかってみたら?とアドバイスする。
たとえばジムの友達が便秘で困っていると言っていた、じゃあこうしてみたら、とアドバイスする。
たとえば友達が健康診断の結果がよくわからないと言う、じゃ一緒に見ようよ、と内容を確認する。

こんなことは医者だったらお茶の子さいさい、面倒がらなければ、ちょっとの時間さえあれば、十分に対応できますから。それももちろん無償で。なにも、病院にいて白衣を着ているときだけが医者ではないはず。医者のちょっとの親切(親切という言葉も 本当は当てはまらないと思っていますが)だけで、安心できる、もしくは回り道することなく診療を受けられる、そんな方が増えるはず。自分が医者として身につけられたことを社会に還元する、それは多くの方の税金によって医者にならせていただいた私たちが、まっさきにすべきことなんじゃないかと思っています。もちろん、まわりにいる人たちに相談される存在でいないと、相談もされることはないでしょうけれど。

私のBlogをお読みくださっている中に、お医者さんはどのくらいいらっしゃるのでしょう。それほど多くはないと思います。将来お医者さんになる方はいらっしゃるかもしれませんね、そんなみなさんにも、一度考えるきっかけにしていただけたらと願っています。

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