わからない と言う勇気

3軒の婦人科をわたり歩いた方がイーク表参道にいらっしゃいました。
外来にはいろいろなことにお困りになってお越しになる方がいます。それぞれの方がなにを求めて来ているのか。それを把握することが医療というサービスを提供するサービス業としては必要になります。

たとえばかゆみを取ってほしい。
たとえば生理をずらしたい。
たとえば生理痛をどうにかしたい。

このあたりは実際のところ、どうにかすることができます。でも、理由を求めて来られる方、つまり理由を知りたい という方には、クリアに回答することが難しいケースも多いです。
たとえば
なぜ生理が順調にこないの? =生理が順調にこない理由を知りたい。
なぜ妊娠しないの? =妊娠できない理由を知りたい。

たまにあるのは 
なぜ手術しなくちゃならないの?
本来は手術をすすめた先生が説明すべき内容なのでしょうが、この なぜ? にはきちんと答えられることが多いです。

3軒の婦人科を経て来られた方に、私がお伝えした答えは
「それはわかりません」
というものでした。 
初めてお会いしたその方は 「やっとすっきりしました」
そうおっしゃいました。

わからない にも、いろいろな種類があります。検査がまだ足りていないから「わからない」のか、私たちが勉強不足で「わからない」のか、どれだけ検査してもきっと「わからない」のか、神のみぞ知る領域なのか。
ただ、現時点でわからないことに対し、責任をもって わからない と言う勇気。潔さ。それをきちんと正しくお伝えして理解していただく努力。私の中でなくしたくないと思っているスタンスです。

どれだけ医学が進歩しても、どれだけ人間が頭でっかちになったとしても、「わからない」がゼロになることは絶対にありません。ただそれを負けと思わず、前向きにとらえていけるか。この姿勢が大切なのではないかと思っています。

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