小さないじわるってなんだろう

ダライラマ14世とよしもとばななの共著『小さないじわるを消すだけで』を読みました。
この本自体が世の中に伝えたかったであろうこととは別に、私の心の中で大きく響いたことがありました。

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「小さないじわる」ってなんだろう。
よしもとばななさんが言うところの小さないじわるとは、誰かが失恋したとして、話しはじめたら2時間は聞かせられるんだろうな、と思う様子をしている相手に、前もって「今日は忙しいなぁ」と言ってみたり、目を合わせなかったり。誰かがなにかを受賞したという報告をしてくれたときに「おめでとう!」と言ってあげる代わりに、興味ない素振りをしてみたり、「だれだれさんじゃなかったんだ」と言ってみたり。そんな、責任の伴わない、しかし明らかに意図のある「小さないじわる」。
よしもとばななさんの「小さないじわる」という言葉を聞いてから、私にも普段の生活で思い浮かぶことはたくさんあります。エレベーターに乗り込んだとき、エレベーターに向かって走る誰かに気づいたのにドアの「開」を押さないこと だったり、狭い通路で身体を寄せればスムーズにすれ違えるのに、スマホを見ている振りしてそのまま進んで相手の足を止めること だったり。
もちろん、本当に意図せずそういう状況になってしまうこともあるでしょう。でも、自分の身のまわりで起こるほとんどのことを、たいていの人は把握できているもの。でも、わざと気がつかない振りをする、わざと見えない振りをする、それが「小さないじわる」なんでしょうね。
自分に余裕があるときは人に優しくできる。自分に余裕がなくなるとまわりに気が使えなくなる。下手をすれば「小さないじわる」に走ってしまう。そんな変化でしょうか。
世の中の多くのことは、小さな選択肢のくり返しで成り立っています。分岐点に立ったとき、少しの勇気を出せば、少しだけ自分がたいへんになることを我慢すれば優しさの道を選べる。いつもそう思っています。
私たちが生みだす「小さないじわる」を減らすだけで、世の中のいくつかの悲しい出来事を減らすことができることでしょう。
よしもとばななさんからもらった「小さないじわる」という言葉を、いつも私の心に留めたい。そう思いました。

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