自分にしかわからないこと

人のことを羨ましく思うことは、人間誰だってあることでしょう。世の中すべてが平等に、なんてそんなことはまったくあり得ないことで、生まれた瞬間から不平等なのはあたりまえのこと。
お金持ちの家に生まれた。でも、子供には興味のない家だった。なんてこともあり得るだろうし、あまりお金持ちではない家に生まれた。けれど両親の愛情は抜群だった。とか。
すごく可愛く生まれたかそうではないか、も生まれた瞬間にほぼ決まること。兄弟の人数だってその後の性格を形成するのに大きな影響を与えるだろうし、世界のどの地域に生まれたか、だってその後はまったく変わってくるもの。こんなことは、私たちが選べることではないわけで。
人を羨ましく思うことは多かれ少なかれ誰にでもあるものだし、仕方のないことだと思います。でも、人と比べて人を羨んでばかりの人生は、きっと自分というものの価値をきちんと自分で認めてあげられなくなるような気がします。
同じことをしているのにあの人は給料が高い。同じことをしているのにあの人は世間から認められている。同じことをしているのにあの人はモテる。
自分の方ががんばっているのに出世しない。自分の方ががんばっているのに儲からない。自分の方ががんばっているのに上手くいかない。
自分がどれだけがんばったかなんて、自分にしかわかりません。
あの人がどれだけがんばったかなんて、私たちにはわからないんです。本当のところは。あの人本人しか知らない努力だって苦労だってあるはずです。
私たちは自分を他の誰かと比べる前に、自分にしかわからない自分のがんばりを、もっと認めてあげるべきだと思います。
自分のためにした努力は目に見えなくとも、確実に自分を成長させ、すぐではなくともいつか必ず実を結びます。それをまわりの人が羨んだとしても、それは胸を張って賞賛を受ければいい。そう思います。
道を見失いそうな時、あえて茨の道を選ぶこと。その道を選ぶことで自分が自分のためにする努力は、自分の力となり、いつか自分に返ってきてくれます。私はそう信じています。

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