“前向きな錯覚”に出会ったら

自分とは規模が違う、つまり活躍するフィールドの規模のケタが違う方と接する機会をいただくと、「もしかしたら自分にもなれるかもしれない」「自分にもできるかもしれない」という”前向きな錯覚”に出会えることが多いように思います。

しかしほとんどの場合、”前向きな錯覚”はあくまで”錯覚”であって、簡単にその人のようになれるわけもないことはあたりまえ。なれたと思ったとしてもそれは気のせいだったり、一時的なものだったり、その人のごく一部分のコピーにすぎなかったり、なのかなと。

それでも、世界的に もしくはその世界では突出して活躍されている方をきっかけに起こる”前向きな錯覚”は、決して否定すべきものではないとも思っています。

「自分にもできるかもしれない」という前向きな自己暗示によってモチベーションが生まれることだってあるでしょうし、いただける刺激やパワーは半端ないものでしょう。ブレイクスルーの引き金になることだってあるでしょうし、生き方自体が大きく方向転換する人だっているかもしれません。

ここでひとつ言えることは、”前向きな錯覚”を”錯覚”のままで終わらせないための努力が必要だということ。

私たちの記憶や熱い思いは、時間の経過と共に対数曲線くらいの勢いでうすれていってしまうもの。だからこそ、”前向きな錯覚”を感じたらすみやかに行動に移すことです。私たちが”前向きな錯覚”をくれた人になれない、近づけない、そう決まってしまっているわけではないのだから。

勉強会に行こうと思ったら速攻申し込む、行きたい場所に出会ってしまったらさっさとスケジュールとチケットを押さえる。"錯覚"を"錯覚"で終わらせないための行動こそが、"前向きな錯覚"を起こす意味だと思っています。

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