どれだけ目に頼っているのか という話し

視力障害を持ち、パラリンピックを目指すアスリートがイーク表参道にお越しになりました。2度目の診察でした。さまざまな訴えに対して低用量ピルを使う提案をし、使用開始後1回目の診察となります。この方は、他院でちがう種類のピルをすでに処方されていたにも関わらず、スポーツドクターである婦人科医の意見を聞きたい と、当院にお越しになったくらいピル開始に対して慎重な方でした。ですから、使用開始後まもなくのトラブルが多いことが知られている低用量ピル 内服開始後1回目の診察であった今日は、私も少しどきどきしながら彼女の言葉を待ちました。

結果的には彼女が心配していたような副作用もなく、解決したかった悩みも解消されており、内服を継続することにしたわけですが、その会話の中で思ったことがありました。

ピルはものにもよるのですが、1色の錠剤で成り立つシート、2色の錠剤で成り立つシート、3色(4種類)の錠剤で成り立つシートなどあります。彼女が使用しているのは2色の錠剤で成り立つシートですが、彼女に説明をしているときに普段のくせで「白い粒のときには…」とか「緑の粒になってから…」などの表現をしている自分に気がついたのです。

もちろんすぐに、彼女が色で錠剤を判断していないことに気がつきますから、「最初から4列目の4錠目」といった言い方に変えて説明をしたわけですが、説明、会話を続けるうちに色で表現する説明方法を何度かしてしまったわけです。
彼女は私が彼女にわからない=理解できない説明をしてしまっても、ちがう方法で説明している間も、嫌な顔せずに聞いてくれました。たぶん毎日、何回も何回もこんなケースに出会うのでしょうね。

普段目が見えている、色を判別できる世界に生きる私たちは、どれだけ目から入ってくる刺激に頼って生きているのかということに気づかされました。先日、パラリンピアンを支えるためになにをしようか、というblogを書きました。そんなこと以前に、どれだけ相手の立場に立って話しをしているか、そこをもう一度見直さなくては と思わせていただいた日でした。

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