”教える”立場に立つみなさんにお願いしたいこと

先日の講座に、和歌山からご参加くださった方がおられました。表参道には2回目の参加。北海道からの参加者もおられました。飛行機でご参加くださるその気持ちに感激しておりましたら、Facebookを通してこんなメッセージが届きました。

先生が質問させていただきやすい雰囲気なので東京でも行きたくなります(*^^*)

彼女はとても勉強熱心な方。これまでもさまざまな先生からいろいろなことを学んでこられたと思います。なぜなら前回のテーマであった自律神経についても、彼女なりの解釈をすでにお持ちでしたから。彼女からのメッセージを読んで感じたことは、きっと質問しにくい雰囲気のこともあるんだろうなぁってこと。

世の中に誰かがなにかを教える ことをビジネスにしているモデルは山ほどあります。ヨガの業界でいえばヨガのテクニックに関するワークショップ、アジャストに関するワークショップ、瞑想についてのワークショップ、解剖学を交えたワークショップ、ヨガスタジオ経営についてのワークショップなどなど。それぞれの指導者が参加者からの質問に対して、どのくらい的確に答えられるか。これは、指導者自身がその分野について、どのくらい深く自分なりの理解を持っているか、に関わってくると思っています。もちろん主観がものすごく入る分野もあるでしょうし、理由なんてない!って分野だってあるとは思います。言葉で説明するのは困難である分野もあるでしょう。しかし、”教えた”のであれば、”質問しやすい雰囲気”をつくることくらいは義務、というよりそこまでは仕事に含まれているのではないかと思ったりもするのです。
(何百人単位の講演では無理なケースもありますね。私も話して降壇、そのまま終わり という講演もございます。)

中には時間をかけてたくさん答えてくれたにも関わらず、その内容が聞きたかったことではない、つまりポイントが外れている的外れ回答であるケースもあることでしょう。尋ねる側にしたって多少緊張して質問している場合がほとんどでしょうから、もらった回答をその場で咀嚼し、本当に自分が欲しかった答えなのかを即座に判断することは難しく、多少の時間が必要でしょう。聞きたかったことはそこじゃない!と気づいたときにはもう、質問の時間は終わってしまっていたり。

私は時間がゆるす限り、みんなのお話しを聞きたい、質問を聞きたいと思っています。みなさんからの質問はご自身やまわりの方の健康状態に関する相談だったりするケースも少なくありませんが、講義の内容についての質問は より時間をかけて説明すべきである部分を教えていただけたり、私自身がさらに深めていくべき方向を示してくれていると考えています。
そしてもうひとつ大切なこと。わからないことはわからない とお伝えします。なんとなくなお話しを繋げることで、質問してくださった方を煙に巻くことはしません。

ヨガの世界だけでなく、さまざまなことを”教える”立場に立つみなさんにもお願いしたい。質問には真摯に向き合っていきましょう。質問にきちんと答えること、質問にきちんと答えられること はすなわち、自分自身が持つ自信と比例しているとも考えられるから。逆に、自信のないものは教えるべからず。すなわち、質問にきちんと答えられないような分野については教えるべきではない ということ。
質問に対して今すぐの答えを持ち合わせていないのであれば、その旨ちゃんと伝えればいい。絶対正しいとは言えないけれど、自分の知識をつなぎ合わせたらこうかもしれない、だったらそのまま伝えればいい。ここで絶対に避けたい、避けていただきたいのは その場を終わらせるためのその場限りの回答。なぜなら質問に対する答えを聞いた方は、その答えを信じます。あたりまえです。”教えてくれる人”から聞いた言葉 ですから。

私自身いつも、私が”教える”という表現はおこがましいと思っています。なぜかといえば産婦人科の医者をしている私にとっては知っていてあたりまえのことをお伝えしているだけ なのだから。でも、私が知る常識をお伝えすることによって、より良くなるなにか があるのであれば、それはとても嬉しいこと。だからいつも”伝える”と表現しています。それでも、お聞きいただくみなさんからしたら”教えてもらった”ことになる。
だからこそ私から伝える言葉、質問に返す内容 は吟味しています。自分も常に学び、声を聞き、”教える”立場に立つことがある者として謙虚でありたい。そう思っています。

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