2020年 オリンピックを迎える東京がすべきこと

2020年に東京でオリンピックが開催されることが決定してからもうすぐ2年が経とうとしています。開催が決まった瞬間のあの感動と盛り上がりとは別次元の問題として、新国立競技場建設についての問題が浮上したりしています。
オリンピックを開催するホスト国・都市として私たちがすべきことについて、考えさせられるシーンに出会いましたので共有させていただきます。

私が祐天寺へ向かうため、地下鉄に乗っていた時のこと。日曜日の朝であり、車内には空席も目立っていました。渋谷で乗車し講義資料を見直そうかと思っていたところ、発車までまだ時間があるとのアナウンスを聞き座席へ向かい着席しました。ちょうどその時、ホームに立った男性が開いたままのドアから車内に向かって尋ねたのです。
「元町・中華街いぐがな?」
見るからに旅行者、語尾のイントネーションからしてどこか地方から観光に来て電車に乗りたい、そんな感じの初老の男性。私の席からその方のあいだには、立っている方、座っている方ふくめ数人いましたから誰かが答えるだろう、そんな気持ちで眺めておりました。しかし予想とはうらはらに、誰も答えない。
もう一度尋ねました。
「元町・中華街いぐがな?」
車内は沈黙。みな目を伏せ、視線を逸らし…
ちょうどそのとき、車内放送は発車を告げ、自動ドアは閉まろうとしていました。私はひざにあったリュックを掴みドアのところへ駆けより、手招きしながら
「行きますよ!元町・中華街行きますよ!」

無事に乗れた男性は、わざわざ帽子をとってありがとうと言ってくださいました。

ドアと私のあいだにいた数人の人、男性の問いに答えられる可能性のあった人がなぜ彼に答えなかったのか?
 この電車が元町・中華街に行くか、ほんとうにわからなかった
 なんとなく行くかなとは思ったけれども、自信がなかった
 次の電車になってしまったとしても問題なさそうに見えた
 鈍行より早い電車があるから乗らない方がいいと思った
 めんどうなことには巻き込まれたくない
 他の誰かが答えるだろう

その理由はこのうちのどれかでしょうか。

数年後にオリンピックを迎える私たち、残念ながら言葉の通じる旅行客を迎えるのですら十分なもてなしができていないのが現状のようです。電車がわからなくて困っていた男性が自分のお父さんだったら。自分のおじいちゃんだったら。たいそうなもてなしを求められているわけではありません。普通の親切、親切なんて言葉はおこがましいほどの、普通の反応。それだけ、たったそれだけです。

ホスト国・都市で多くのみなさんを迎える者として、ほんとうの”おもてなし”の意味を私たちひとりひとりが考えなおさなければいけない時期がきているのではないかと思っています。

関連記事