人の器

先日、知人の器の大きさをあらためて知る機会がありました。

もともと彼女とはジムのトレーニング仲間。これまですごく深いつきあいがあったわけではないけれど、会えばほぼ毎回、言葉を交わすようなあいだがら。でもその日はトレーニングが終わったら彼女とその友達と一緒に、彼女がおすすめしてくれたプログラムを体験しに、違うクラブを訪問することになっていました。

ロッカーで着替えの際、数名の仲間とおしゃべりしながらした軽い約束。私は当日、その約束をすっかり忘れ、自分のメニューをさらにこなし、いつも通り帰宅。約束の日、トレーニングエリアで彼女の顔を見たし、軽くあいさつはしたけれど、その約束について話題に出ることもなく普通に時間はすぎて… 深夜に近い帰りのエレベーターではっと思い出した約束。でも、アドレスも交換していない知人だったため、ごめんなさいと連絡すらできず、少し気まずいな 謝らなきゃ、なんて思いながら次に会った日のこと。

彼女が私にかけてくれた言葉は
「先日はごめんなさいね、お待ちせずに先に行ってしまって」

本来ならば私がすっぽかした約束についてなじったっておかしくない、私が謝って当然のケースなのに彼女はこう言ってくれたのです。
体験しようとしていたプログラムは時間がきたらスタートするタイプのものでした。だからこそこう言ってくれたのだと思いますが、私がすっかり忘れているのだろうと思いながらも(あとから、きっと忘れちゃってるんだろうと思ってました と言っておられた)この言葉をえらんでくれた彼女の器の大きさに頭が下がる思いでした。

言葉をひとつ選ぶことでその場はまったくちがうものになります。そのことをあらためて感じるとともに、私も彼女のような言葉を選ぶ人でありたいなと思いました。
そして言葉を音にする一歩手前の瞬間に、その言葉がこの場に相応しい言葉であるのかどうか、目の前にいる相手に相応しい言葉であるのかどうか、そしてその言葉を発する自分自身にふさわしい言葉であるのかどうか、それを再確認したいと思います。

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