9.11を迎え

2001年9月11日にアメリカNYで発生した同時多発テロから早13年。あの世界的な出来事によって失われたたくさんの命に深い哀悼の意をささげます。

あの日は夕方からのお産が少したいへんなものとなり、遅くまで病院におりました。やっとのことで無事にお産を終え、雑事諸々を片づけて5学年上の先生と一緒に病棟のとなりにあった産婦人科の医局に戻ったところ目に飛び込んできたのが、つけっぱなしだったテレビに映る衝撃的な映像でした。
最初はなんのことだかわからず呆然としていましたが、とんでもないことが起こっているのだということだけはすぐに理解できました。先生とともに、固唾をのんで画面を見つめ続けたことを覚えています。いつまでも続く映像と、時々刻々と変化していく錯綜する情報に、病院の敷地内にあった官舎に帰ってからもまったく寝つけなかった夜。

全世界に大きな衝撃とダメージを与えた出来事は、年数がたった今も鮮やかに脳裏によみがえります。そして今思うことは、あたりまえの日常はあたりまえではないのだということ。

朝あたりまえのように目が覚めて、あたりまえのように顔を洗い歯を磨き、あたりまえのようにヨガマットに乗り、あたりまえのように家を出てあたりまえのように外来にすわる。あたりまえのように何事もなく一日が過ぎて、あたりまえのようにジムへ行き、あたりまえのようにお風呂に入ってあたりまえの夜を迎える。この”あたりまえ”こそが何にも代えられないくらい幸せなことであり、尊いことであるということ。

9.11に起こった不幸な出来事だけではありません。世界中で起こっている紛争、戦争、人為的な災害、また自然災害によって”あたりまえ”の日常をうばわれることは遠い国の出来事ではなくなっています。そして突然発症する病も。もっとも身近な例としては交通事故。だれもが加害者にも被害者にもなり得る時代。どちらの立場だったとしても、”あたりまえ”の日常はなくなってしまうことでしょう。

”あたりまえ”に感謝すること。”あたりまえ”にまわりにいてくれる人に感謝すること。そして、自分にできる限りの”あたりまえ”を守ろうとする努力を続けること。
9.11を迎え、そんな思いを新たにしています。

最後になりましたが、亡くなられた多くの方に心からご冥福をお祈りいたします。

合掌

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